DAIHACHI

ジャンル問わず書いています。インプットばかりはもう辞めだ

京都タワーサンド

京都タワー!!!の下

なんか色々事情ある人もいるし、好みもあるし?割り勘めんどくさいし?キャッシュオンで色々食べられる「京都タワーサンド」で送別会のようなものをしてきた。

f:id:adoum0:20200215231418j:plain

無事ヤバい会社を二人の方が退職されたので、人数的には最初の半分。俺たちの戦いはここからだ!!(残り1カ月)

ちょっぴりときめいたのが、地面にあったサインだ。分かりやすいってのもあるんだけど、色味と方向を示す矢印がかなり好みだった。

このデザインがどうとかこうとか、こねくり回して批評する事はしないけれど、常々思う事がひとつあるので、そっちを文章にしようと思う。

専門的な職業や勉強をする環境と、一切関係の無い環境

大学では建築を専攻していたが、真面目な学生ではなかった。単位落としまくるし、学校行ってないし。アカデミック・カリキュラム、が自分と合わなかった事もあるが、結局は自分で自分の考えに対して踏ん切りがつけられなかった事が不真面目な学生になったのだと思う。

幸いにも東北に行った事蟻鱒鳶ルこの2つの出来事と人によって、人生はいい方向に進んだと思う。結果はどうあれど。

そして、今は建築と全く関係の無い職業に就いている訳だが、たまに聞かれることがある「なぜ建築や不動産などの会社で勤めないの?」と。フツーに素朴な疑問だと思う。

色々選ばない理由はあるが、その一つに「どこでも勉強できるから」

建築を勉強するには大学で勉強する必要もないし、職業も関係ないと思ってる。一般的には建物の中で生活したり、建物を利用する訳だ。そしてその空間に対して、「あーこういうなのが欲しいな。こういう風にしたいな」と考えているのであれば、建築に対して向き合って勉強しているのだと思う。

極論 Pinterestで家具を眺めていても建築の勉強

たしかに建築会社に勤めればより専門的・実務的・理解度は高まるだろう。ただ、自身の欲求は「今生活する空間・京都をどうみるか」というベクトルな訳なので、建築系の会社に勤める必要はないと思ってる訳だ。

つまり生きているだけで日々勉強しているので、生活の中で感じた事はリアルだ。そしてリアリズムに乗っ取った感情や思考はマジで誰にも侵されることの無い無敵なものだと思う。

大学に入って不真面目ながらも何を得たのかと思うと…

形あるモノ・ないモノそのどちらに対しても、考える力を得たという事。
自身の知的好奇心がどのようなベクトル・範囲でどこでという事を理解できたという事。
これを具体的に言語化して説明できる、日々の生活の中で指標にする事さえできていれば問題ないんだよな~と思います。

 

なにが言いたいのか簡潔にまとめると。

京都タワーサンドは喫煙所があってマジ最高。マジおススメ